2011年11月11日金曜日

合縁奇縁


合縁奇縁(あいえんきえん)
意味・・・お互いの相性はすべて縁によるものだということ。

こういう格言をみると、縁とはそもそも、いったいなんなんだ、という疑問にブチあたります。広辞苑でしらべてみると「人と人とのつづきあい」「婚姻の関係」「原因をたすけて結果を生じさせる作用」「直接的原因(因)に対して間接的な条件」などとあります。でも、これではよく理解できません。
そもそも縁は、仏教用語で因縁・縁起のことを言うようです。この意味合いを究極に縮めて言うと「すべての物は単独で成り立っているのではなく、相互に関係しあって成り立っている」ということ。さらに縮めると、「万物は相互に影響を及ぼし合う」ということなんでしょう。
悟りをひらいた釈迦によれば「一般の人には知り難く悟り難いものである」ということのようです。我われ、凡人には深層の意味、真理は分かろうはずもなさそうです。
この格言をもう少し踏み込んで解釈すると、「人と人、また人と物などすべてには相性(関係)があり、妙に気があったり、合わなかったり、それには何らかの原因があり条件を付加し、結果として生じている現象なんだよ。一般人には不思議で知るすべもないようなものだけれど、努力や修行によって、より良い方向に進められるものなんだ」ということのようです。つけ刃の知識ではこれぐらいの解釈が目一杯でしょうか。 まぁ、そういうことにしておいてもらいましょう。
縁を使った格言はこのほかにも、「縁と浮世は末を待て」、「縁なき衆生は度し難し」、「縁に連るれば唐のもの」、「縁は異なもの味なもの」などあるようですが、これらをつらつらと眺めていると、縁とは「人が知るよしもない、不思議で暖ったかい、なくてはならない繋がり」と解釈しても構わないような気がします。合縁奇縁の「奇」は不思議なという意味も持っています。
ところで社会学で「予言の自己実現」というような考え方があります。
たとえば「私は将来歌手になる」と目標を心に描いていると、やがてそれが実現するというものです。因縁でいえば因にあたるものかも知れません。そう(予言)することにより、意識的もしくは無意識のうちにも縁、つまり毎日楽譜を見ていたり、ピアノを習いに行ったり、歌をうたったり、そんな縁をつくり出しているのでしょう。
キリストもしかり「求めよさらば与えられん」と残した教えもそういった感覚でしょう。
仏教・社会学・キリスト教、それらにも共通するものが感じられます。
合縁奇縁、じつは「目標をたてて努力すれば、叶えられないことはない」ということなのかもしれませんね。

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