2011年11月22日火曜日

愛多ければ・・


格言さんぽ4

●愛多ければ憎しみもまた多し

意味・・・愛と憎しみは表裏一体で、愛は憎しみにも変わる。

恐いですね。恐ろしいですね。淀川長治さんなら「この作品は、愛と憎しみの映画。まぁ、なんて恐いんでしょう。なんて恐ろしいんでしょう」な〜んて言ったんでしょうね。「可愛さあまって憎さ百倍」ってのも、同じようなことを言ってるんでしょう。結局、愛は恐いということです。でも、「愛」って、こんなんなの?
「汝、敵を愛せよ」とは『新約聖書』の言葉。つまり、この格言の意味から推すると、「敵を憎んでもいい」ということ?・・・そんな事が、聖書に書かれている筈はないですよね。
昔、こんな事を聞きました。「恋」と「愛」の違いは、「恋」は恋愛のことで、有り体に言えば、男女間の仲に成り立つ勘違いのような物。「愛」は家族にも、世界中の誰にも注ぎ、注がれることができる、尊いもの、と。ならば、げに、「愛」は尊いのです。
広辞苑では、「愛」は1.親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。2.男女間の愛情、恋愛。かわいがること。めでること。大切にすること。・・・8.キリスト教で、神が人間に幸福を与えること。などとあります。
なんだかピンときません。語句を説明するのはなんと難しいことでしょう。でも、言葉の説明から感じ取るよりも、人として生まれてきたからには、「愛」というものは、実際の体験で理解できることでしょう。
ついでにちょっと広辞苑にいちゃもんをつけるとすれば、この中の「いつくしむ」って何かと調べてみると。「愛する。かわいがる。大切にする」とあります。「愛」の説明と同じじゃないの?なんて思っちゃいます。さらに、「愛は人間や生物への思いやり」とあるのは、人間や生物だけでなく、物質や観念に対しても愛はあるんじゃないの、とも思ってしまいます。愛車や愛社なんて言葉もありますしね。
それはともかく、さらに、つらつらと考えるに、「愛」に限らず、何事においても、期待が大きいほど、また信じれば信じるほど、その反動が大きいということなんだろうな、と思います。身近であればあるほど、「裏切られた」と感じた時の「憎しみ」は、激しいのでしょう。
さすれば、信じない、期待しない、望まないが一番いいのでしょうか。
いえいえ、そんな事はありませんね。
この信じる、信じない、期待する、期待しないの、微妙なバランスが人間関係の妙なのでしょう。経験に応じて身に備わるものだと思います。それができない人が、愛が憎しみに変わってしまう。テレビドラマなら、冷たくされて憎んで刃物でブスッって、刺しちゃうんでしょうね。
でも、反対に、憎しみって、愛にも変わるんでしょうか。
願わくば、それだけの一方通行であってほしいですね。ってね。

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